自然と大地、生命と水があるところに砂漠の風景が果てしなく広がっていてクレーターのようでもあり、あまりにも理性と光と霊気を欠いていたので、いかなる意識レベルにおいても精神は把握しきれず、近づけば精神は不安がって後ずさりした。

そんな幻影がはっきりと本物の迫力をもって私には見えたので、純粋極まる光景は、ほとんど抽象のようでさえあった。
これなら私に理解できるのだった。
そのように私は生きて、それをめぐって行動し、可知なるものに触れてきた。 その地勢をめぐり私の現実は回った。

人間が良いものだとか、変わっていけるものだとかは決して思ったことがないし、人からの愛や優しさを受け取って喜ぶような感情や素振りがあっても、それで世界が良くなっていくとも思ったことがない。
肯定的なものは何もなく、「寛容の精神」という言葉は何にもあてはまらない決まり文句であり、たちの悪い冗談でしかなかった。セックスは数値計算だ。個性などもはや問題にならない。知性にどんな意味があるのか。理性とはなんぞや。 欲望―意味なし。知力は救いにならない。正義は死んだ。恐怖・反訴・潔白・同情・有罪・浪費・失敗・悲痛、というものを今どき感ずる者はいない。 反省は無益、世界は無意味。邪悪のみが世界に永続する。神に命は無い。愛は信用できない。表面、表面、表面というだけが意味を見いだせるすべて…… これが私が見た文明の姿だ。ばかでかくギザギザに角ばって……